
サービスやモノを提供する人や提供される人の気の持ち方
普通に生活している中で、当たり前のように受けているサービスやモノがたくさんあります。この「当たり前」に対してどう接するのかを考えることが大切だって思うんですよね。なぜなら、自分が人に何かを提供する時にその視点が必要になるから。つまり、自分の仕事に活かせるっていうことです。いや、活かせるというか活かさないといけないっていう思いが強いかな。
サービスを受ける側が大切にすることは、サービスの満足度とその価格のギャップ
日常のサービスを受ける人の立場では、良いサービスを低価格で受けたいという思いが強くなってしまいます。それが慢性化してしまうと、低価格が当たり前になり、本来の価格で提供を受けただけでも不満になってしまいます。つまり、価格を基準にしかモノを考えれなくなるってことです。例えば農作物や魚介類、お肉などの生鮮食品。これらは価格が低いことが当たり前。でも、農作物を作っている人は多くが高齢者で、国民年金での生活なので、老体に鞭打って働いている人も多い。もちろん大きな農家に雇われている人も多いでしょう。その方たちの働きは、おそらく都会で働く人々のそれをはるかに凌駕するくらい毎日働いている。その姿を思い描かないと、結果的に今ある価格でしか物事を測ることができない人間が出来上がります。ただ安ければいい。でもちょっとした違いがあれば、例えば有機野菜であるとか、普通より綺麗で大きく糖度が高いフルーツだとかなら、本来の価格を逸脱した価格を支払おうと思う人が一部にはいますね。
サービスは提供する側は、本来価値を大幅に上回る金額で提供しようとする
日常のサービスを提供する側は価格をつり上げることはできない仕組みになっています。日常のサービスやもの事態が多くの人の日常であり、人の固定観念にサービスやモノに対する価格が根付いているからです。それは前に話した通りですね。ただし、非日常を提供する場合は、その違いによる価値を正しく認識できる人が少なくなってしまいます。提供を受けているものが価格を目にする頻度が少ないものはその余地が出てくる。その隙をついて異常な価格設定をしていくる提供者が多くいます。
よく見かけるのは住宅。1つは賃貸物件、そこに住む人のことを考えれば、ありえないような狭さの部屋をたくさん作って賃貸に出している業者や個人が多いです。1Kの物件が多いのはそのせいですね。普通の生活で1部屋で済ませないといけないことは、知らないうちにかなりのストレスがかかりっています。空気の流れない狭い空間で多くの時間を費やするのは体に良いはずがありません。そんなことはお構いなく、一番小さい部屋を提供した方がお金が儲かるから、提供者はそれを提供しています。それは部屋数や広さによって価格がどれだけ違うかを見てみても明らかです。明らかに1部屋で提供した方が儲かる仕組みを構築していますよね。もう一つは戸建て住宅の販売。最近よく見かけるのは、もともとは一戸建てだった土地を2分割して、そこに住宅を建てて販売している人が多くいます。これは住宅業者に入れ知恵されて販売しているのでしょう。これをするだけで本来であれば100%の利益が住宅の売上含めて2倍は儲けることができるような仕組みです。
これら賃貸も一戸建ても住む人のことを考えれていませんよね。これらの住宅を内部事情を知らない人、例えば、賃貸ならお金がない学生が、一戸建てならもっと地価が高い都会から来た人が契約をしてしまいます。同じ価格を出してもっといいところに住むことができたにもかかわらず、狭い中での暮らしを余儀なくされてしまう。それが一戸建てなら一生続いてしまいます。それを提供して受けたお金をどう使うかはサービス提供側に任されますが、人の人生を窮屈にしながら得たお金をもらっていい暮らしをすることに何のメリットを見出しているのでしょうか。そのほとんどは自分がサービスを受けることやその価値に関して考えることなく、自分主体でしか物事を考えれていない人なのだろうと思います。
重要なのは提供する人と提供される人双方が幸せになれること
お金を生み出す錬金術はあるとしても、それを提供することが提供される側にとって幸せになれるかを考えることが大切です。たとえそれでお金を儲けることができても、人が満足いかなければ提供する意味をなしません。重要なのが非日常のもの、サービスを受ける人が価格やそのものの価値を考える機会が少ないものを提供する場合に相手が幸せになれる価値を適切な価格で提供できるようにしたいですね。大きな買い物で人の人生を左右するものであるならなおさらです。