謝って済むなら警察はいらない。ホントこれ!

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悪いことをして謝罪をする。これは当たり前のこと。ただ、許した人の傷は謝ってもらっても言えることはない。逆に、許してもらった人の心の傷は簡単に癒える。というか忘れることができる。許しが免罪符になる。でも、それでいいの?というお話。

HUNTER×HUNTERのコアラとカイトのくだり

赤毛の少女に転生したカイトに対して、自分の行為(殺めたこと)の正当性を主張しながら懺悔している紳士風コアラに対して、被害者側のカイトが言った言葉が深い。

まず、自分(赤毛の少女)のために働くことを強要している。これからの人生自分のためだけに働けと。もし今後コアラがいまの懺悔の気持ちがなくなった時、あちきが殺してあげると言っている。

これが罪というものに対する、罪を犯した人に必要な心の持ち方のような気がする。

HUNTER×HUNTERの世界観を抜きにしても、それなりの負債を抱えるべき罪というものは存在するはず。

 

#me tooで広がるパワハラ・セクハラに対する発言

パワハラ、セクハラで被害があった人の発言が展開している。何年も前のことが公開されているのを見ると、やった側は忘れていることだけど、やられた方はずっと覚えていることがよく分かる。これが心の傷。

この運動を受けて今まで強要してきた人たちは、自分の名前が公開されないかと戦々恐々とするようになっているはず。完全に忘れていた罪の意識が、今になって罪悪感として芽生えている人は多いのではないだろうか。

悪いことをしたら、いつでも公開される可能性があるということは、今後のハラスメントの抑制につながるはず。

自分への癒やし=忘れるということ

悪いことをされた自分が癒やされるのは、そのことを忘れることだと思う。

人の謝罪を受け入れるときの判断は難しいけれど、自分の気持ちをうまく操れるのではれば、許す行為がうまく作用することもあるかもしれない。本当に軽い罪でなら許すこと→忘れるにできるかも。

もちろん、いつになっても頭から離れない場合は、相手を許すことはできないし、それでいいと思う。

その対策として罪を償うことが当たり前の社会が出来上がったほうがいいようにも思う。心の傷の賠償が普通に払われる社会は必要になるだろうな。

 

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