偽善の心って重要だよね! ホームレスや生活保護受給者へのヘイト問題を見て思ったこと。

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DaiGoさんが炎上しているのを見て思ったことメモ

ここで言う「偽善」=見せかけの振りをすること の意で使っている

生活保護受給者やホームレスの人、あとはネグレクト気味の質問者を爽快にディスっている放送をしていたもよう。いつものように、自分は皆さんよりたくさんの税金を払っていたり、猫の保護活動にお金出したりしていると主張していた。文句あるなら、みなさんもやればいいじゃん!と。

微妙なところもあるけど、基本はそのとおりだなと思ってしまう自分もいる。お金の過多ではなく、助けないといけないと自分が主張しているものに対して手を差し伸べているかというと、やれていないからね。

ただ、お金を払っているから義務は果たしているという考えには微妙に違和感はある。給料が低くても社会のために役立っている人はたくさんいる。お金持ちがいい生活を送るためにはその人達の活動があってのことなので、その人達を下に見ることはなんか違うなと思うわけで。

思うが、思うけど、自分がなにか行動してるかというとそうでもない。余裕があるなら少しはなにかしてもいいのかもとは思う。余裕があればでいいと思う。そのあたりは少し考え方が違うかな。余裕がなくても人を助けるのは自傷行為と同じなので、やめたほうがいい。

一方で、正直多くの批判や意見は偽善だとは思う。多くの人は主張だけで何もやっていないと。でも、その偽善こそ良い社会が作られるうえで重要な要素だとも思うわけで。そこは必要な偽善だなって思う。

特に日本では、偽善による発言が大量の紙のように折り重なり合い、強固な基盤ができがっている。それは多くの人に制約をもたらし、場合によってはその制約のおかげで善行が生まれることもある。ある意味それが良い社会であって、多くの悪く見える行為を監視するシステムが構築されているんだと思う。

昔の大学時代に、自分がいい人だと思われたいから善行を行うという人がいた。結果みんながその人を善人だと見ていたようで、透けて見えるその人の笑みを見ると少し不気味に思ったことがある。でも、結果善行がなされたのだから、それでいいんじゃないかなとも思ったわけで。その人も自らの善行に引きずられて、善行をしないといけなくなる面白い状態になっていた。

偽善は思った以上に重要。偽善から善行の環境が作られ、そこから生まれる善がある。

なんかそんな感じ。

今回の件で社会はどう変わるんだろう?ある種のいい刺激になったようにも思えたりする。

 

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