
自分を構成する要素は3つある(体、精神、感性)
自分について考えることって意外と少ない。それにも関わらず、多くの人は自分のことは理解できていると思っている。そこで他の人を見てどう思うかに着目するとどうだろうか?相手が相手自身のことを知らないと思うことはないだろうか?
人から見た自分と自分からみた自分は違う。他人からはあなたは〇〇な人だよね!って言われるけど、自分ではそう思わないことはよくある。
おそらく、他人も自分も本当の「わたし」を知っている人はごく少数だと思う。
自分と向き合えるケースは少ない
普通に生活している中で自分と向き合うことは少ない。人生で重要なことで失敗した時や、苦労の末に勝ち取った成功を体験した時など、自分自身で思うかなりのインパクトがある出来事でないとその機会を得ることはない。
言い換えると、普段の生活の中では自分と向き合う必要はない。それが結果として「自分はこうあるべき」と言う自分への思いを自分に投影させている。
本当の自分に出会えた時、新しい人生が誕生する。それが人生の岐路となり、人生を選択する権利を得られる。
でも多くの場合、それを知らないままの人生を過ごすことになる。
体・精神・感性の定義
ここでタイトルに示した3つの言葉を以下のように定義しておく
- 体 :物体としての自分(自分として人から認識されるもの)
- 精神:頭の中で想像し、行動している自分。普段から自分だと思っているものがこれ。
- 感性:感情の源。楽しみ、悲しみ、嬉しさ、喜び、怒りの源泉。自分を制御できなくなるときに感じることができるもの。
大切なことは頭のなかにいる自分が、精神であること。そして精神とは別の感性が自分の中にあるということだ。この感性を知ることが本当の自分を知るということに繋がる。
俗に言う三つ子の魂百までという魂がこの感性にあたるのかもしれない。ただ、少し違うのは私はこの感性は変えられるところ。これはそのうち書いていくかも。
人に認知されない感性
人を表す場合、体と精神の2つだけに分類すると非常にわかりやすいが、そうすると一つの疑問が出てくる。自分のことを自分で理解しているかという疑問だ。体以外の自分のなかで自分のしっているとことと知らないことに分離されるように思う。なぜなら、感情任せに行動したり思っていないはずのことが口から出てしまうことを経験したことがある人は多いはず。そんな時、自分と思っているものが2分するすることがわかると思う。
この疑問が出てきたときが、自分と向き合うきっかけになり、自分の中の感性の存在を知ることにつながる。
自分さえ知らない自分=それが感性
自分の知らない自分についての疑問が出てきたとき、初めて自分を知ることができる。自分の知らない自分それが感性である。感性とは自分の感情の源泉であり、その感情がどこから出てくるのかはわからない。そこは完全にブラックボックス化している。理屈ではなく自分そのもの。それが感性。
人から見える自分と自分で見る自分の違い
人からあなたはこんな人だよね!と言われて腹が立つことがある。でも相手は自分の振る舞いを見てそれを指摘しているだけ。自分はそんな人間じゃないんだ!と思いたい精神の自分が相手の言葉を拒否してしまう。
ただ、必ずしも相手の意見が正しいとは言えない。相手は相手の見える範囲でしか対象を評価することができない。つまり、相手の想像を超えるものは評価できないということがあるからだ。相手の見える範囲が少なければ、評価でいる範囲もすくなくなる。それがわかれば相手の評価は無視してしまっていい。
今回はそこは置いといて、相手だけが見える自分の中の自分(感性)の存在を確認することが大切だということ。自分はどんな人間なのかを自分との対話によって知り、それを制御できるようになることそれが大切。
自分が自分を知っているかを検証する方法
これはよくある方法。自分の好きなことを100個上げてみよう。自分が嫌いなことを100個上げてみよう。そしてその状況まで上げれば面白い。言葉には断定とあいまいが含まれている。言葉では言い表せない自分の感情があるため、一言ですべてを言い表すことができないからだ。
重要なのは理由ではなく、その状況だということ。好きなことを上げる時にどんな状況下でそれを好きと思っているのかということ。例えば絵を描くのが好きであれば、一人で書いているのか、複数人で談笑しながら書いているのかでも違う。絵を描く対象が何かでも違う。だから状況が大切。
普通は理由を書いてみようとかいうことが多いんじゃないかと思う。でも、そもそも理由がわかれば書く必要がない。これは理由を知るためにやること。それが自分を知るということに繋がる。
失敗は成功の基はよくできた言葉
失敗は成功の基という言葉は子供の頃からよく聞く言葉。その本来の意味は、失敗から学ぶことで成功に導くことができる。というものだと思う。ここではそれをもう少し発展させてみる。
失敗することで自分と向き合い、自分を知ることができる。失敗という結果があると、次に進む必要がでてくる。この失敗体験を見るときに見る対象は自分の感情がいい。失敗した経緯の中で何の感情が生まれ、どう行動するかを知ることができる。
本来知っているはずの自分を知るという不思議な状況を失敗が作ってくれる。自分を知り、自分が本当にしたいことが何なのかを知る。また、できないことを学び、それは他人にお願いして自分ができることをする。そうして成功への道を歩んでいけるようになる。ここでは、これが失敗は成功の基の本来ある意味だ!、としておく。
実際に多くの成功者は多くの失敗をしている。結果自分をよく知ることができ、成功を重ねた結果の今があるのだと思う。
失敗以外の自分探し
もちろん失敗以外にも自分を知る機会を作ることはできる。一番簡単なのは日記だ。その日記には出来事とその時の自分の感情を書き留めるといい。自分の頭でどう思ったのかではない。感性からくる感情をそのまま言葉に変換して日記に書くという作業を繰り返す。それが自分の感性を知るための一番の近道だと私は思っている。
そう考えると、女性は感情豊かだと言われるけれど、日記など書く機会が多い女性は感情表現が豊かなのかなとも思える。自分を知る機会が増えることをするのは大切。