
クールビス終了で窮屈で面倒なネクタイ生活のはじまりはじまり
10月1日の残念なお知らせはクールビス終了です。この日以降に初めて学校や会社へ行った時は、必ず何人かはいるクールビズを続けている人。その何人かはよくわからないはずかしめを受けながら1日を過ごすことも多いでしょう。
そんな人にこの記事を読んでいただいて、自分は恥ずかしくないんだ!と思っていただければ嬉しい限りです。
日付で一斉に服装をチェンジすることの不条理
人が暑いと感じる理由に日付は関係しますか?
多分、多くの人は「暑い理由に日付は関係ない」と答えると思います。人によっては日付と気温をリンクさせて関係するという人もいるかもしれません。ただし、10月1日の気温は必ずしも一定ではありません。過去の東京の10月1日の気温は17度〜32度とバラバラです。
それにも変わらず誰かが勝手に決めた日付で一斉に服装を変えることに、ある種の正しさ感じているとすれば、その考え自体がおかしなことだと気が付いて欲しいです。
では、自分が暑いと感じる時はどういう時でしょうか?気温が一定温度より高い時、湿度が高い時、自分が太っている時。個体差はあれど、固定化された日付は関係ないはずです。
体感温度に応じた服装から効率が生まれる
暑苦しいのにネクタイをしめる。スーツを切る。汗だくで勉強や仕事をする。そんなことで集中力が持続できるとは思いません。暑さや寒さが気になると、自分がやっている勉強や仕事の効率は落ちます。結果が求められる作業に従事するのだから、効率よくタスクをこなすことの方が重要だと思います。
暑ければ暑さの対策をし、寒ければ寒さへの対策をする。この当たり前のことをすることが効率化に繋がります。
そもそもネクタイって正装なの?
ネクタイの起源のあくまで一例として、もともとは兵隊の家族が無事を記念して送ったスカーフが元になっていると言われています。
今?少し前?はファッション業界の金のなる木だったでしょう。布の切れ端が何倍も何十倍もの値段で売れるのですから。ある意味民間の既得権益みたいなものです。
合理性に欠けるものを人に常識だと植えつけて、そこからお金を吸い上げる。ある種のマーケティングが過去から続けられていたものですね。ファッション業界の既得権益はこれ以外にも多いです。それが世界的に展開されているのですから、一個人が叶うわけありません。
偏った考えでもその考えに浸り続けると、それが常識になります。それが今の現実です。
意味のわからないある種の忖度(そんたく)
こういった服装など変えようとする時に壁となって立ちはだかるある種の老害的考えがあります。それが以下のようなものです。
私はいいんだけど、ネクタイしないことをよく思わない人がいるのでネクタイは必須です。
変わることができない組織の上流には、こういった忖度は存在します。実際に相手がネクタイしていないとダメだと批判するような人は、このような言い方をします。ネクタイあるなしでしか物事を判断できない老害です。
こういった考えは、自分の個性としてやるにはいいですが、人に押し付けることが間違いだと気がつけない人です。できれば、無視したいものですが、こんな人が評価する側の場合は、諦めてネクタイする方がマシかもしれません。張り合うだけ無駄なので。
清潔感ある身なりは必須です
ネクタイあるなしは関係なく、清潔感のある身なりをすることは必須だと思います。それが対峙する相手への配慮になるため。ヨレヨレのスーツや汚れた靴では相手にいい印象を与えることができません。
きっちりするところはきっちりしていないと反論もできないため、相手の付け入る隙を与えないように武装することは重要だと思います。
ネクタイあるなしで人を判断しない常識が広まればいいのに!
最近はそう願うばかりです。