いじめを受けた人がいじめをするって変だよね!自分と同じ目にあえ!という負の感情が人を陥れる。
自分が嫌な目にあったとき、どう行動するかで人を見るのは面白い。
ある人は、自分と同じ目に合わせたくないと改善したり回避させるために労力を惜しまない。
ある人は、自分もつらい経験をしたんだから、別の人も同じ経験をするべきだ!と同じことを繰り返す。
これって、どこでどう判断が食い違うんだろう?
学生時代にリンチにあった人が2人いた。同い年のヤンチャな友達から後輩をリンチすると聞いたときに、ある人はその話を聞いてニヤニヤしていた。別の人は、それだけはやめてあげてくれ!と自分の経験を悲壮な顔で話しながら懇願していた。結果リンチはなくなった。共にリンチされる後輩のことは両方知らなかった。
これは実際はタイミングは違えど、これと同じ事例を目の当たりにしたことがある。
たぶん違いって、他人の痛みの感覚を受ける人かどうかじゃないかな?
つまりは、感受性の高さ。
人の立場になって考えろ!ということはよくきくけど、それができる人は普通に他人の痛みや悲しさを受けてしまう人だと思う。そういう人って、人が苦しいときにそれを良しとしないきがするんだよな。
まあ、その場合、変にストレスが溜まってしうので、それが本人にとっていいかは別だったりする。人のことを考えるのは思った以上に負担が大きい。
他人なんてどうでもいいと思っているくらいのほうが本人は幸せだとは思う。
それでいうと、ひろゆき氏が幸せそうなのは、他人なんてどうでもいいと思っているからだと思う。あの人は感受性云々じゃなく、単なる好奇心でいじめ的な振る舞いを単発でするか、面倒だからいじめはしないで終わりそうなので、別の生き物感があるけど。そういう人もいるんだろうな。
千差万別とはいうけれど、そういう、その他に分類される人のことを考えるのは必要だなと、ひろゆき氏は教えてくれる。本筋とは離れた、そんな感じの人。